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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)1561号 判決 1984年11月27日

原告 中村美津子

右訴訟代理人弁護士 須田清

同 伊藤一枝

被告 有限会社 一光商事

右代表者代表取締役 郷精一

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 橋本辰夫

同 川越憲治

同 井上展成

主文

被告有限会社一光商事は、原告から金二六〇万円の提供を受けるのと引換えに、原告に対し別紙物件目録一1記載の建物を明渡せ。

原告の主位的請求及びその余の予備的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告と被告有限会社一光商事との間においては、原告に生じた費用の四分の一を右被告の負担、その余を各自の負担とし、原告と被告郷昇との間においては、全部を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

(主位的請求)

1 被告有限会社一光商事(以下「被告会社」という。)は原告に対し別紙物件目録一1記載の建物(以下「本件店舗」という。)を明渡せ。

2 被告郷昇(以下「被告昇」という。)は原告に対し別紙物件目録一2記載の建物(以下「本件倉庫」という。)を収去して同目録二記載の土地(以下「本件土地」という。)を明渡せ。

3 原告に対し、被告会社は金九二〇万五五四〇円、被告昇は金五八万七六〇五円並びに右各金員に対する昭和五六年二月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに1ないし3項につき仮執行の宣言

(予備的請求)

1 被告会社は、原告から金一〇〇万円又はこれと格段の相違のない範囲内で裁判所の定める額の金員の提供を受けるのと引換えに、原告に対し本件店舗を明渡せ。

2 被告昇は、原告から金六〇〇万円又はこれと格段の相違のない範囲内で裁判所の定める額の金員の提供を受けるのと引換えに、原告に対し本件倉庫を収去して本件土地を明渡せ。

3 主位的請求3項と同旨

4 同4と同旨

との判決並びに仮執行の宣言

第二当事者双方の主張

一  原告の主位的請求の原因

1  本件土地及び本件店舗は、もと亡中村泰三(以下「泰三」という。)の所有であり、同人が昭和五一年四月一八日死亡し、原告がこれを相続して、現に右土地建物を所有している。

2  被告会社は本件店舗を占有している。

3  被告昇は、本件土地上に本件倉庫を所有して、右土地を占有している。

4(一)  本件店舗の占有によって生じた昭和五〇年八月から同五五年一二月までの賃料相当損害金は一一四三万八〇四〇円であり、原告はその内二二三万二五〇〇円の支払を受けたので、残額は九二〇万五五四〇円である。

(二) 本件土地の占有によって生じた右同一期間の賃料相当損害金は七三万〇一〇五円であり、原告はその内一四万二五〇〇円の支払を受けたので、残額は五八万七六〇五円である。

(三) 右各損害金の内亡泰三の生前の期間の分については、原告がその賠償請求権を相続により取得した。

5  よって、原告は、被告会社に対し、本件店舗の所有権に基づき、同建物の明渡並びに4(一)の賃料相当損害金及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日の昭和五六年二月二六日以降民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告昇に対し、本件土地の所有権に基づき、本件倉庫の収去、右土地の明渡並びに4(二)の賃料相当損害金及びこれに対する前同様の遅延損害金の支払を求める。

二  主位的請求原因に対する被告らの答弁

請求原因1ないし3の事実は認め、同4の事実は否認する。

三  抗弁

1(一)  被告昇は、昭和二六年一〇月一日、泰三との間に、本件店舗を期間の定めなく同人から賃借する旨の契約(以下「本件借家契約」という。)を締結し、その引渡を受けた。

(二) 被告昇は、同年一〇月二六日、株式会社金五商店を設立し、泰三の承諾を得て、同会社が本件店舗においてゴム履物及びケミカルシューズの卸売店を経営してきた。

(三) 金五商店は昭和四四年八月に倒産したが、被告昇とその長男の郷精一(以下「精一」という。)は、同年一〇月ころ、泰三に対し、ケミカルシューズ卸売業の一光商事という会社を設立したい旨を告げて、同人の承諾を得、ただちに本件店舗の看板を一光商事に改め、昭和四六年二月に被告会社を設立した。

(四) なお、右建物の家賃と後記の本件土地の地代の昭和四六年三月から同五〇年六月分までは、被告会社振出の小切手で支払い、泰三はこれを受領していた。

2(一)  被告昇は、昭和二六年一〇月一日、泰三との間に、本件土地(契約に表示された地積は七坪五合)につき、木造建物(倉庫、居宅)の所有を目的とし、期間を二〇年と定める賃貸借契約(以下「本件借地契約」という。)を締結した。

(二) 被告昇は、本件土地上に本件倉庫を所有し、右期間満了後も右土地の使用を継続している。

四  抗弁に対する原告の認容

1(一)  抗弁1(一)の事実は認める。

(二) 同1の(二)ないし(四)の内、泰三が金五商店及び被告会社の設立、使用について承諾をしたことは否認し、その余の事実は知らない。

2  同2の事実は認める。

五  原告の再抗弁

1(一)  本件借家契約には、賃借人は、賃貸人の許諾なしに、本件店舗の現状を変更し又はこれを転貸しないこと、これに違反したときは賃貸人はただちに契約を解除しうることとの約定があった。

(二) 被告昇は、本件店舗を被告会社に転貸しているほか、同建物内部を勝手に改造し、風呂場を新たに設けるなどの現状変更をした。

(三) よって、原告は、昭和五三年二月一四日にした調停の申立において、被告昇に対し、本件借家契約を解除する旨の意思表示をした。

2  本件店舗は、終戦後に、一時の使用を目的として臨時応急的に築造されたものであるが、建築後すでに三十余年を経て、土台、柱、壁、その他の建物の主要構造部は、耐用年数をはるかに超えて、腐朽しており、いつ崩壊するかも知れない危険状態にあるから、本件口頭弁論終結時において、右建物は、朽廃の状態にあり、契約の目的物の滅失に準じて、本件借家契約は終了したものと解するのが相当である。

3  原告は、昭和五三年二月一四日、被告昇を相手方として調停の申立をすることにより、同被告に対し本件借家契約の解約の申入れをした。右申入れには次のような正当事由があるから、右申入れから六か月の経過により賃貸借は終了した。

(一) 原告の長男とその妻は、ともに医師であって、病院を開設する必要があるが、その適地は、本件店舗の敷地以外にない。また、原告は、現在末娘と二人で生活しており、末娘が結婚すれば、長男と同居したい希望であるが、長男の現住居には、原告を引取る余裕はない。したがって、本件各建物を収去して、その敷地に病院兼住居を建て、原告自身これに居住する必要がある。

(二) 泰三は、戦後の混乱期において、小さな子供を抱えている被告昇に同情し、「子供が成人になるまで貸してほしい。」旨の同被告の言に応じて本件店舗を賃貸したものであり、現在はすでに同被告の子らは成長し、同被告自身他に二つの店舗をもつに至っているので、本件店舗を使用する必要は存しない。

(三) とくに、被告昇は、従来、代替店舗がないことをもって、本件店舗の明渡ができない理由としていたが、本件訴訟係属中に、本件店舗から至近距離の所に新店舗を開店させており、しかも、それは、本件店舗の明渡を前提として原告が紹介したことにより、取得したものである。それにもかかわらず、被告昇が本件店舗を明渡すことなく使用しているのは、信義に反する行為である。

(四) 被告昇は、昭和五〇年七月以降、家賃として月額一一万七五〇〇円を供託するのみであるが、右金額は家賃の適正額に比しきわめて低額であり、かかる家賃の支払をもって借家権を主張することは、公平の観念に反することである。

4(一)  本件借地契約は、昭和四六年一〇月一日、期間満了により終了した。泰三は、その後ただちに被告郷の本件土地の使用継続に対し異議を述べた。

(二) 右異議には、3の(一)ないし(四)と同様の正当事由がある。

六  再抗弁に対する被告らの認否

1  再抗弁1の内、被告会社に本件店舗を使用させることについて、泰三の承諾を得たことは、前記のとおりであり、本件店舗の改造、現状変更をした事実はない。

2  同2の内、本件店舗が終戦後の急造建物であることは知らないが、その朽廃の事実は否認する。

3  同3の解約申入れの事実及び正当事由の存在は、いずれも否認する。

(一) 原告の病院建築の必要性については、全く具体性がない。また、原告は、台東区花川戸一丁目二番五の土地の内一八・〇三坪と同所二番四の土地の内本件各建物の敷地を除いた八・四八坪との合計二六・五一坪の地上に建物を所有して居住しており、二番五の土地の内一七・三一坪を訴外山本あや子に賃貸し使用させている。右二番五の土地は、共有地であるが、その管理をしているのは原告であり、したがって、原告が右訴外人に明渡を求めさえすれば、合計四六・八二坪の土地を使用できる立場にある。なお、そのほかに、原告は、浅草新仲見世に土地を所有し、その長男も茨城県牛久町に土地を所有しているし、長男は、医師で、年収二〇〇〇万円以上の高額取得者であり、マンションも購入しており、その妻も歯科医師である。

(二) 被告昇が、賃借時に、子供が成人するまでとの約束をしたことはない。本件店舗以外に被告昇の関係する店舗が二か所あることは認めるが、その内、千葉県松戸市の青果市場内にある店舗は、被告昇の実兄が賃借して経営し、同被告はその手伝をしているだけであり、広さ七坪くらいの小規模のもので、営業時間は午前七時から正午までであるから、利益は僅少である。被告昇の年収は約二〇〇万円、被告会社の代表者精一の年収は約五〇〇万円で、原告側に比し経済力の優劣は明らかである。そして、本件土地の所在する台東区花川戸地域は、昭和初期から、履物業の卸商店街として発展してきたもので、日本唯一の現金問屋街であるから、本件店舗を明渡すときは、被告会社の営業は継続しえなくなる。

(三) 花川戸地内の本件店舗の近くに新たに開店した店舗は、本件訴訟係属中、原告から受領したパンフレットに基づいて購入したものではあるが、本件店舗の明渡を前提としたものではなく、購入者は精一個人であり、購入価格は三六〇〇万円で、毎月三〇万円の割賦金の支払をしており、この店舗のみでは被告らの生計は成立たない。

(四) 賃料供託額は三・三平方メートルあたり八二五〇円で、近隣木造家屋の家賃は八〇〇〇円ないし一万円であるから、不当に低額ということはない。

4  同4(一)の内期間満了の事実は認め、異議を述べたことは否認する。

七  予備的請求の原因

原告は、本件借家契約の解約申入れ又は本件借地契約の更新拒絶につき正当事由を補強するため、相当額の立退料を支払う用意がある。そして、鑑定によれば、昭和五八年八月時点の限定借地権価額は一四二〇万円、借家権価額は五二五万円であるから、右立退料は、借地については五〇〇万円、借家については一〇〇万円が相当である。よって、右金額又はこれと格段の相違のない範囲内で裁判所の決定する金額の立退料の支払と引換えに、本件店舗、本件土地の明渡を求める。

八  予備的請求原因に対する被告らの答弁

原告の解約申入れ、更新拒絶に正当事由が存しないことは前記のとおりであり、仮に原告に自己使用の必要があったとしても、その程度は僅かであって、金銭をもって補強しうる程のものではない。仮にそうでないとしても、原告の援用する鑑定の評価は相当でなく、本件店舗と本件倉庫とは一体として営業目的に使用されているので、本件店舗の価額と本件土地の価額とを切離して評価すべきではない。また、立退料を算定するには、店舗の収益性を考慮に入れるべきである。したがって、本件土地の借地権の買取価額は、更地価額(坪あたり)五〇〇万円の借地権割合八〇パーセントの七・五坪分として三〇〇〇万円が相当であり、本件店舗の立退料は、被告会社の営業純益年間五〇〇万円の五年分二五〇〇万円とすべきである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  主位的請求原因1ないし3の事実(所有、占有)、抗弁1(一)の事実(本件借家契約)、同2の事実(本件借地契約)は、当事者間に争いがない。

二1  被告会社の本件店舗占有についての泰三の承諾(抗弁1の(二)ないし(四))の事実について検討する。

《証拠省略》によれば、本件借家契約には、賃貸人の承諾なく賃借物の現状を変更し、これを転貸し又は賃借権を譲渡してはならないとの約定があった事実が認められる。しかし、《証拠省略》によれば、被告昇は、本件店舗賃借当初から、同店舗において、自己の経営する株式会社金五商店によって履物商を営み、同所に同会社名の看板を掲げていたが、同会社が昭和四四年八月に倒産した後は、一光商事名の旨の看板を掲げて個人で同一営業をし、昭和四六年二月一九日、長男の精一を代表者とする被告会社を設立して(被告昇自身も昭和五三年一二月一〇日代表取締役となった。)、同一営業を続けていたこと、被告昇は、同年三月以降は、主として被告会社振出の小切手をもって、泰三に対し、本件店舗及び本件土地の賃料を支払ってきたこと、泰三は、本件店舗の隣家に居住し、本件店舗に金五商店及び一光商事の看板が掲げられていることを知っており、これについて異議を述べず、右小切手による支払を受領してきたこと、そして、被告会社は、現在も被告昇と精一の親子で経営する会社で、その実体は個人商店と異ならないこと、以上の事実が認められ、この事実によれば、泰三は、被告昇が金五商店及び一光商事名義で会社組織にして営業している事実を知りながら、それについて異議を述べなかったもので、昭和四六年中には、被告会社による本件店舗の使用について、黙示に承諾を与えたものと認めるのが相当であ(る。)《証拠判断省略》

2  原告は、被告昇が本件店舗を無断で改造等した旨主張するが、その事実を認めるのに十分な証拠はない。

3  したがって、再抗弁1(三)の契約解除の主張は理由がない。

三  次に、建物朽廃の主張(再抗弁2)について判断する。

《証拠省略》によれば、本件店舗は、昭和二二年ころ、戦災の焼跡に応急的に造られた建物であって、昭和五七年ころにはすでに相当に老朽化し、外見上も損傷が目立つ状態になっており、消防署から危険性について注意を受けていて、遠からず朽廃を免れず、建物としての効用を保持するためには大修繕を要する状態にあることが認められるが、本件店舗が建物としての効用を全く失うほどに朽廃し、滅失と同視しうる状態になったものとは、全証拠によっても認めるに足りない。したがって、右主張は理由がない。

四  次に、解約申入れ(再抗弁3)について検討する。

1  《証拠省略》によれば、原告は、昭和五三年二月一四日、被告昇を相手方として、調停の申立をし、その申立書において、本件借家契約につき解約の申入れをした事実が認められ、原告本人尋問の結果及び記録によれば、その後調停期日を七、八回重ね、これが不調に終わった後、原告は、被告らを相手方として、昭和五六年二月一六日本件訴訟を提起し、右解約申入れを一理由として本件店舗の明渡を求める請求を維持していることが明らかであるから、調停申立の時から現在に至るまで、原告は、被告昇に対し不断に解約申入れをし、かつ、本訴提起後は転借人としての被告会社に対しその旨の通知(借家法四条一項)しているものと認めるべきである。

2  よって、解約申入れの正当事由の有無について検討する。

(一)  前記三の建物の老朽化が、未だ滅失には至っていないが、早晩大修繕を要する状況にあることは、正当事由を認めるべき一事情とするに足りる。

(二)  《証拠省略》によれば、昭和五三年二月当時、原告の長男公一は、医師資格を取得したところであって、将来開業したい希望を持ち、また、原告は、本件店舗に隣接し、花川戸一丁目二番四の土地と同所二番五の土地とに跨って存在する家屋に、末娘の文美(昭和四三年生)と二人で暮していて、将来右家屋と本件店舗との敷地に病院ないし診療所兼居宅を建築し、ここで公一に稼働させるとともに、同人と同居して、同人に自己の老後と文美の教育を託したいと考えていたこと、公一は、昭和五四年に結婚し、現在妻及び子二人と賃貸マンションに居住し、研究生活を続けているが、妻久仁子も歯科医師で、公一とともに病院又は診療所を開設したいという強い希望を持っており、原告(大正一五年生)がその老後のため公一の一家と同居したいという願いもいっそう強まっていること、なお、原告は、本件店舗の敷地及び本件土地を含む前記二番四の土地一〇九・一九平方メートル並びに前記現住家屋のほか、浅草新仲見世付近に泰三から相続した三〇坪弱の貸地を所有し、公一は、泰三からの相続により茨城県牛久町に約五〇坪の土地を所有しているが、前記目的に利用するのに適当な土地は右二番四の土地のみであること、以上の事実が認められる。被告らは、原告の病院等建設の計画には具体性がない旨主張するが、被告らの明渡の成否が未定の間は、計画を具体的に示すことが困難であることは理解しえないではなく、この点から原告の使用の必要性についての主張を虚偽のものとみることはできない。

(三)  他方、被告昇の側の事情についてみるに、同被告の子が成長するまでの約束で本件店舗を賃貸した旨の《証拠省略》はただちに採用しがたく、《証拠省略》によれば、被告昇と精一との経営する被告会社が本件店舗において履物卸商を営んでいるが、本件店舗の所在地は、東武電車浅草駅向い側で、履物問屋街が形成されている一帯にあって、右業種には至便の地であること、被告昇は、そのほかに、千葉県松戸市に店舗を賃借して同種営業をしており、更に、本訴係属中、和解の一方法として、原告が、被告会社の移転先として本件店舗から数軒隔った同一町内の店舗を紹介し、被告らは、精一の名義により、昭和五七年一二月五日以前に、代金三五〇〇万円で右店舗を購入し、被告会社の第二営業所として同一営業を行っていること、被告会社の昭和五八年中の法人税にかかる申告所得額は六一六万円余であったこと、以上の事実が認められ、この事実によれば、被告らが本件店舗における営業に執着する心情は理解できるものの、右新店舗を入手したことにより、本件店舗が必要不可欠のものではなくなったとみるべきである。

(四)  原告の主張の内、家賃供託額が低額であるとの点(再抗弁3(四))は、約定の賃料の支払に遅滞があるというのならば格別、そうでなければ賃料増額請求の問題であって、正当事由としては無意味な主張である。

3  右2の(二)、(三)の当事者双方の事情を比較すると、解約申入れの当初においては、原告側の自己使用の必要は必ずしも切迫したものではなく、他方、被告らの側としては、営業の本拠として本件店舗を失うときは重大な損失を被るものであったと認められるが、その後、原告側の必要性はいっそう強まる反面、被告らにとっては、前記新店舗を取得したことにより、本件店舗を使用する必要性はかなり薄らいだものということができ、その明渡により被る損失は若干の金銭的補償によって償われる程度になったものと考えられる。そして、原告が、本件訴訟係属中、相当額の立退料支払の用意がある旨を申出ていたことは、記録上明らかであるから、前記2(一)の建物老朽化の事情をも考え合わせると、右新店舗取得の時において、金銭の提供を条件として、原告の本件借家契約の解約申入れは正当事由を具備するに至ったものと認めるのが相当であり、したがって、右契約は、遅くとも昭和五八年六月五日の経過をもって終了したものというべきである。

4  そこで、立退料の額についてみるに、《証拠省略》によれば、同証人は、昭和五八年八月当時における借家権価格を五二五万円と評価していることが認められ、右評価の理由は概ね首肯することができる。被告らの主張する本件土地との利用の一体性、営業の収益性等は、本件における評価にあたって考慮しなければならないものとは解されない。そして、前記認定の諸般の事情を総合すれば、原告が正当事由の補強として支払うべき金銭の額は、右借家権価格の約半額の二六〇万円とするのが相当である。なお、本件店舗による営業はもっぱら被告会社が行うものであり、かつ、同会社は賃借人である被告昇とその子が経営するものであることを考えると、正当事由の補完としての金銭は、原告の申立どおり、被告会社に支払うのが相当である。

五  次に、本件借地契約の更新拒絶(使用継続に対する異議、再抗弁4)について検討する。

本件借地契約の期間が昭和四六年一〇月一日をもって満了したことは、当事者間に争いがない。

しかし、《証拠省略》中、泰三が、同年五月ころ、被告昇に対し、本件借地契約を更新せず、期間満了後は明渡を求める旨を告げたところ、同被告は二、三年の猶予を求め、更に泰三が、昭和四九年暮ころに、再度被告昇に明渡を求めたとの趣旨の部分は、《証拠省略》に対比して採用するに足りず、他に、右期間満了の前後ころ更新拒絶又は使用継続に対する異議が述べられた事実を認めるに足る証拠はない。

のみならず、《証拠省略》によれば、昭和四六年当時は、原告の長男公一が大学医学部に入学したばかりであったことが認められ、病院等開設の希望はあったとしても未だ漠然としたものであったと窺われるのに対し、《証拠省略》によれば、被告昇は、本件店舗を賃借することとしてから間もなく、その営業上倉庫を必要とすることから、本件土地をもあわせて借受けるに至ったもので、その地上に建てた本件倉庫を被告会社の前記営業のための倉庫とするほか、二階を住居とし、昭和四六年当時は、被告昇が店員とともに居住していたが、精一が昭和五〇年五月に結婚した後は、同人が妻子とともに居住するようになったこと、そして、昭和四六年当時は、本件借家契約についての解約申入れもなく、被告会社が本件店舗における営業を継続していたのであるから、これに伴い本件倉庫をも必要とする状況にあったこと、以上の事実が認められ、これによれば、右期間満了時においては、本件土地使用の必要性は被告らの側が勝り、金銭による補強を加味しても、更新拒絶及び使用継続に対する異議について正当事由があったものとは認めるに足りないところである。

したがって、この点に関する原告の再抗弁は理由がなく、本件借地契約は法定更新されたものである。

六  最後に金銭請求について判断する。

原告は、被告会社に対しては本件店舗の無権原占有により、被告昇に対しては本件土地の賃貸借終了後の無権原占有により、それぞれ昭和五〇年八月から同五五年一二月までの賃料相当額の損害賠償を求めるのであるが、右期間中は各賃貸借契約が有効に存続しており、被告会社も承諾を得て適法に占有しているのであって、いずれについても被告らが損害賠償債務を負うものではないから、その点において原告の請求は失当である。さらに、原告の請求を、賃料増額請求をしたことを前提とする賃料の差額の請求(被告会社に対しては民法六一三条一項に基づく直接請求)と解する余地があるとしても、《証拠省略》によれば、昭和五〇年一月当時の約定賃料は、本件店舗につき一か月一一万七五〇〇円、本件土地につき同七五〇〇円であったところ、泰三は、そのころ賃料を合計一六万五〇〇〇円に増額する請求をし、被告昇は、これを肯んぜず、同年七月分から、本件土地については従前どおりの額、本件店舗については一二万七五〇〇円を供託したことが認められるが、当時の適正賃料額が右供託額を超えるものであったことは、《証拠省略》によっても確認しがたく、他にこれを認めるに足る証拠はないし、その後については、賃貸借契約の存続を前提として賃料増額請求がなされた事実は、何ら主張立証がないから、結局原告の請求は理由がないことに帰する。

七  以上の次第で、原告の本訴請求中、本件店舗については、無条件の明渡を求める主位的請求は理由がないが、予備的請求は二六〇万円の提供と引換えに明渡を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、なお、仮執行宣言を付するのは相当でないから、その申立を却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 野田宏)

<以下省略>

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